沖縄からみえる世界   地球・生命・宗教・先住民

人間が誕生し20万年が経つ。12万5千年前より火の利用を始め、10万年前にアフリカを出たと言われている。そして、5千年前にエジプト、黄河をはじめとする初期の文明が起きた。それから約2800年前になるとローマ時代が始まる。 つい250年前に産業革命が起きると、地球・環境・生命・宗教・先住民へ大きな影響を与え始める。西暦2017年の現在より、過去、未来を考える。

沖縄県で発生した豚コレラ感染で1万900頭の豚が殺処分

沖縄県内の豚コレラ感染により、1万900頭の豚が殺処分された。

このことをしっかりと悲しむ必要が私たち人間にはあると考える。


毎日沖縄の二紙を確認していたわけではないが、殺処分することに否定的な言葉を見る事がなかったので、この場を借りて、一石を投じたい。


何故、殺す必要があるのか?他に方法はなかったのか?
一万頭もの豚の命を奪うということに違和感、嫌悪感、悲しみを感じた人は多く居たことと思う。
県内には約20万頭の豚が食用に飼育されているようだ。

調べてみると豚コレラは伝染力が高く致死率も高いらしく、被害拡大を防ぐために、感染の豚が出た養豚場は全ての豚を殺さなければならないこと、経済的損失は国が全額補助すること等、家畜伝染病予防法に記載があった。

 

何度か、何故人は人の命を奪ってはいけないのか?という疑問を目にしたことがあるが、ブッダは、「自分自身に置き換えて考えてみよう」と説いた。

自分の命を奪って欲しいと願う人はいないだろう。だから、貴方も人の命を奪うべきではない、と。
さて、これを動物に置き換えて考えてみたらどうだろうか?
やはり、動物も死を望んだりはしないだろう、そう、彼らも「生きたい」と望んでいるはずだ。
私達はせめて、その命を奪って生きているという事実を、しっかりと受け止めるべきではないだろうか?

 

数年前、北海道を徒歩で歩いていた時のことだ。海岸線を歩いていた時に魚の慰霊碑を見つけた。

鰊だったかホッケだったか忘れてしまったが、慰霊碑にはこの様に記載があった事と記憶している「大量に獲りすぎてしまい、多くの魚を廃棄せざるをえなかった為、ここに慰霊碑を建造する」と。

今回の豚コレラで殺処分された豚たちの為に私たち県民も祈りを捧げるべきではないだろうか?

 

理想を言えば、動物の幸せの為にも、地球環境の為にも、肉食はなくすべきだと私は考える。

しかし、各地域には伝統の食文化があり、豚肉も本来は嗜好品や飽食の為ではなく、生きていく為に必要な食料として、消費していたであろうことは容易に想像できる。

 

では、何がおかしいのか、何が不自然なのかを考えてみると、一年365日、殆ど毎日肉を食べる必要が私たち人間にあるのだろうか、ということだ。
しかも、わざわざ県外、或いは海外から輸入して、肉を食す事は、それが、輸送するコストや排出するco2、畜産の地球環境にかける大きな負担、悪化する県民の健康などを考えれば、マイナス面しか見えてこない、そう、私たち人間の美味しいものを食べたいという欲さえなければ。

 

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現在沖縄県でも推進しているSDGsの取り組みにも、この豚コレラ問題は大きな考察を与えるものだと考える。本当に持続可能な社会とはどういうものなのか、地球規模の問題を県民としても更に考える必要があるだろう。