沖縄からみえる世界   地球・生命・宗教・先住民

人間が誕生し20万年が経つ。12万5千年前より火の利用を始め、10万年前にアフリカを出たと言われている。そして、5千年前にエジプト、黄河をはじめとする初期の文明が起きた。それから約2800年前になるとローマ時代が始まる。 つい250年前に産業革命が起きると、地球・環境・生命・宗教・先住民へ大きな影響を与え始める。西暦2017年の現在より、過去、未来を考える。

東アジア平和行進 in 台湾 2023

高雄から南下し牡丹郷を通り、西海岸から東海岸へ、それから北上し台東まで歩いた。約200kmの道程を12間かけて歩いた。



 

台湾第二の都市高雄(たかお)から屏東(ぴんとん)県車城まで台湾の西側を南下し、牡丹(ぼたん)郷を通り東海岸へ出て、北上して台東(たいとん)まで歩きました。

5月27日から6月7日迄の11日間かけて約200kmの道のりでした。(暑かった!)

沖縄から四名、日本から四名、韓国から一名(日本人)、そして台湾人二名が最初から最後まで通して歩きました。

2019年には台東から花(か)蓮(れん)まで歩きました。

その年に比べて今年は日本の参加者が多くなりました。やはり、四年前に比べて台湾有事の報道が増えた関係で台湾に関心を持つ人が増えているのだと思います。

近くて遠い国、アメリカの歴史や文化は知っていても、台湾の歴史や文化は知らないのです。

 

行進の報告の前に先ずは、私が興味深く思った幾つかの事を紹介したいと思います。

 

  • 台湾の歴史。台湾には大きく分けて二つのエスニックグループが存在する。所謂、原住民と漢民族である。この二つのグループは言葉、文化、外見が同じではない。台湾には先史時代より原住民たちが住んでいて、ヨーロッパ諸国が大航海時代にアジア各地に姿を現しだすと1600年代にオランダやスペイン等が貿易や植民地政策のもとに台湾を支配した。その時にオランダが労働力や土地の開発の為に中国の福建省広東省から漢民族を移住させた。これが現在の漢民族の台湾の歴史の始まりと言えます。

  その後、漢人の父と平戸藩の母との間に生まれた鄭成功(ていせいこう)がオランダを駆逐し、鄭氏統治時代、その後、清朝統治時代(更に多くの漢人移民が来島)、それから日清戦争を経て、日本統治時代となる。日本が戦争に負けると、今度は中国大陸で毛沢東率いる中国共産党軍に負けた蒋介石(しょうかいせき)率いる国民党が台湾へと敗走してきた。国民党(外省人)の所行は悪く汚職も蔓延した。「犬(日本人)去りて、豚(中華民国人)来たる」(狗去豬來)と呼んで揶揄した。行政などの要職も独占し、元々住んでいた台湾人(本省人)が抑圧されると、本省人の不満が高まり2.28事件が起きた。この事件をきっかけに蒋介石による弾圧と虐殺の時代(白色テロ)が始まった。一万人から数万人が殺されたとされているが、詳細は未だに解明されていない。蒋介石が出した戒厳令は息子の蒋経国の時代の1987年まで続いた。

 

ざっと台湾の歴史を並べ立てたが、どれだけの日本人がこの台湾の歴史を知っているだろうか?

恐らく、大概の日本人はこの歴史を知らないだろう。(私自身知らなかったから)

 

  • 宗教的素地。台湾は菜食者が多い。国民の十数パーセント居るそうだ。街中を歩いていても、素食(スーシー)の看板や卍の看板が有るが、それは菜食専門を意味する。日本では菜食主義者は肩身の狭い想いをしなくてはならないが、台湾では、菜食者は高潔の証ですらあると聞いた。全人口に占める素食人口の割合としては、台湾はインドに次ぐ世界第2位の規模になるそう。この台湾の菜食の文化は仏教や一貫(いっかん)道(どう)、道教の影響が大きい。

僧侶は菜食・独身であり、社会からも尊ばれる存在である。テレビ番組にも各宗派がチャンネルを持ち、教えを伝えているらしい。道教・仏教寺院は巡礼者用の宿泊施設を備え、私達の行進もお世話になった。そして道中、遊行中の一人の尼僧と出会い、行進に加わるという日本では有り得ない事も起きました。

 

  • 果物が豊富。マンゴーが街路樹で、自生もしていて、道路にぽとぽとと落ちていた。バナナ、パパイヤ、グアバジャックフルーツも道端になっている。台湾は果物天国と言える。

 

 

 

今回台湾を歩こうと思ったのは“台湾有事台湾有事“と、沖縄県では沖縄も米軍基地や新しい自衛隊のミサイル基地が宮古八重山諸島に造られた事から、沖縄も戦争に巻き込まれるのでは?と心配の声が大きいけれど実際台湾ではどの様な雰囲気になっているのかを先は知りたい。

そして、今回パイワン族の牡丹郷を通るルートになったので、牡丹社事件の事を学ぶのと、犠牲者になった人々への慰霊、そしてその後の日本占領下での原住民達の苦難に対して、日本人としてその負の歴史を学びたい。というような思いから台湾での行進を計画しました。

 

台湾に行く前に台湾の友人たちの意見を聞いてみると、

中国の台湾侵攻を心配していると言う人は多くありませんでした。逆に日本人あなた方がそんなに心配していることに驚きましたと言われたりしました。

心配しない理由のひとつは、中国の台湾への脅威は今に始まった事ではないという事。

台湾海峡危機=1950年代から1990年代にかけて四度の軍事的緊張があった。

1950年、第一次台湾海峡危機は中国の西南部や舟山(しゅうざん)群島、海南島等に追いやられた国民党軍が中共軍によりそれらの地域からも駆逐されていく。そして、国民党軍は福建省浙江省の一部島嶼金門島、大陳島、一江山島)まで撤退していく。1954年中共軍の猛攻により国民党軍は大陳島と一江山島から撤退し、残った金門島も熾烈な砲撃を受ける。この内、金門島のみ現在も台湾の実行支配下に置かれている。

 

その後も第二次台湾海峡危機(1958年)、蒋介石による大陸反攻計画(1962年)、第三次台湾海峡危機(1996年)と中国と台湾側の軍事衝突、又は挑発行為が度々行われてきた。

 

この事を踏まえると、昔に比べれば、現在の情勢は安定していて、今になって中国が台湾に侵攻してくると言うことは台湾人にとって想像しづらいという事のようだ。

 

ただ同時に、台湾と中国(両岸関係)は未解決の問題であり、度々の緊張関係が生じている為、中国よりも国力の小さな台湾にとっていざという時の備えの為に軍事力の維持というものが決して無視できない政策となってきたと言える。

 

そしてその他の中国の武力行使を心配しない理由には、相互の経済的な深い依存度や、中国が武力侵攻した時の国際的信頼度の失墜=経済の衰退というリスクが大きいという声も聞きました。

 

今回、台湾滞在中に十数人位の台湾の友人たちに、中国による台湾侵攻の現実性について尋ねました。

 

台湾に観光に来る多くの中国人達の素行が良くないので中国人は好きではないという台湾人は多いようです。

しかし、中国の脅威は今に始まった事ではない、現在は経済的な繋がりや、台湾侵攻をした時の中国のリスクの大きさを考えると、中国が台湾を軍事侵攻することは有り得ないと言っていました。

 

一方、台湾以外に住む、フランスやアメリカ、所謂欧米のメディアやシンガポール在住の台湾人などは、中国の台湾への軍事攻撃の可能性の高まりについて強い懸念を持っています。

 

台湾国内と所謂欧米メディアの間での大きなギャップがあることが分かりました。

 

そして、私達が知っておくべきもう一つ重要な点は、台湾の国内世論が軍備増強に賛意を示していると言うことです。喫緊の脅威は感じないという世論であっても、防衛力の強化に関しては大多数の国民が必要だと思っているということです。そしてその軍事力増強の要となるのがアメリカの支援であり、米軍事同盟国日本の支援でもあるようです。

 

足下を見れば、日本も軍備増強路線を強く打ち出しています。中国脅威論に対して台湾も日本も米側に属し、米中対立構造の一部にされてしまっています。(フィリピンにも米軍の駐留が再開されるというニュースがあります)。

自分の頭の中で台湾に対して、中国の覇権主義の脅威に非軍事・外交対話路線で望んで欲しいという期待があったのですが、深く台湾の歴史や現状も知らない自分が、自分達の都合の良いように、台湾にはこうあって欲しいと望んでいた事に気づき、反省する機会となりました。

 

台湾は既に“新たな冷戦”の狭間にあるとある助教授が言っていました。

 

台湾国内では武力に頼らないで、外交や対話の力をもって中国に対処するという考え方の人々も居て、その旨を謳った声明文を大学の教授等を中心に発表したようですが、大きな議論を呼び、世論から大きな批判を浴びたと聞きました。現在、非軍事的解決を目指すグループは少数派で、多くの台湾人にその考え方は受け入れられていないと言うことです。

 

台湾滞在最終日、台湾人ジャーナリスト三名、フランス人ジャーナリスト一名と意見交換する時間を持ちました。その内の一名が私の知り合いで、彼とは済州島の平和行進で出会い、沖縄を案内したりもしました。

台湾人ジャーナリストの友人は、私達が出会った多くの台湾人達とは正反対の意見で、中国は台湾に必ず侵攻してくると言いました。

彼曰く、中国は台湾侵攻への多くの兆候を示しており、侵攻は疑いない。ロシアのウクライナ侵攻の時も、多くのウクライナ人はまさかロシアが侵攻してくるとは直前まで思っていなかったと。

又、「中国と話し合うといっても、そもそも、中国が台湾と同じ土俵、対等な立場で話し合うつもりはなく、話し合いは成立し得ない」と言います。

台湾の非軍事を謳うことは、中国を利する行為であり、批判の的にすらなるとも言います。

台湾の状況は以前とは変わってしまったと、彼は言います。

 

私の隣に座っていたフランス人ジャーナリストが「もし、中国が台湾へ軍事侵攻を始めたら、あなたは在日米軍を台湾へ派遣する事に賛成しますか? 自衛隊が台湾を支援する事に賛成しますか?」と私に問いました。

この質問は、私の心を揺さ振りました。そして、以前観たテレ東Bizのニュース動画を思い出しました。

台湾の鏡新聞mnewsの蔡滄波CEOに対してのインタビューで、「武力行使が起きた時、日本に期待することは何か」との質問に「在沖米軍の派遣をお願いしたい」と答えていました。


フランス人ジャーナリストの質問に対して私は答えることが出来ませんでした。

私の信条として、米軍を沖縄から派遣し、軍事力で問題を解決する事は賛同出来る事ではありません。

しかし、覇権主義的国家の中国が小国の台湾に脅威を及ぼすのを、何もせずに見過ごすという事は、真実の非暴力的行動ではなく、裏切り行為であり、不誠実的行為だと思うのです。(ガンディーの思想より)

 

しかし、台湾の友人に、「軍事的に支援しないという事は、台湾とは関わりたくないということですか?」と聞かれた時、私は何と答えたら良いのでしょうか?

 

私の隣に座っていたフランス人ジャーナリストに、それではあなたはどう思うかという問いに、「戦争が起きてしまったら、それは私達が失敗してしまったということ。戦争にならない為に何が出来るかです」と私に話しました。

そして、「アメリカも中国も帝国主義的な振舞で他国を抑圧していて、台湾と沖縄はその被抑圧者である。台湾と沖縄は連帯して助け合うべきである。世界中の被抑圧地域と連携して、帝国主義を世界からなくす事が大切だと思う」という意味の事を話されました。

 

窮地に立たされている者は、藁をも掴む想いで何とかして助けて欲しいと思うのは当然だと思います。

平和行進を一緒に歩いた台湾の友人は、台湾は世界からどんどん孤立していっていると話していました。

世界での中国の力が強まるにつれ、中国の圧力により、台湾と国交を断絶する国が増えていっています。(現在外交関係のある国は13カ国。日本もアメリカも ‘One China policy’ ひとつの中国政策をとっているので台湾との国交は結んでいない)。

 

彼らの質問に対して、私は苦し紛れにガンディの非暴力運動の例があった事を上げました。

「例え、軍隊を派遣することに賛成ではなくても、それイコール台湾を見捨てるという事ではない。そして、私達のような平和行進はとても小さな力だけど、自分の出来る最善の行為を持って、東アジアの平和に寄与していきたいと言った。政府間のやりとりに直接的に影響を与えることは難しいけれど、私が大切だと思うことは、私達一人一人が今回台湾を訪れ、2週間歩き、生活し、台湾の人々にお世話になったこと。台湾の歴史を学び、人々の意見も一緒ではないという事を知ったこと。台湾人の友人が増えたこと。牡丹社事件について深く学べたこと。パイワン族の村で儀式を受け、伝説を聴けたこと。この経験がとても貴重であった」ことを話した。

 

安全保障や政府間外交という私の手の届かない議論だけではなく、自分が出来る事の話し合い。

自分の行動が無意味・無力だと思わない為にも、出来る事の積み重ねをしていきたい。

 

 

つづく…