沖縄からみえる世界   地球・生命・宗教・先住民

人間が誕生し20万年が経つ。12万5千年前より火の利用を始め、10万年前にアフリカを出たと言われている。そして、5千年前にエジプト、黄河をはじめとする初期の文明が起きた。それから約2800年前になるとローマ時代が始まる。 つい250年前に産業革命が起きると、地球・環境・生命・宗教・先住民へ大きな影響を与え始める。西暦2017年の現在より、過去、未来を考える。

2023 平和の海のための島々の連帯キャンプ in 宮古島

集合写真

 

十一月十日~十三日にかけて、宮古島で「平和の海のための島々の連帯キャンプ」(以下:ピースキャンプ)が開催されました。このピースキャンプは二〇一四年当時、済州島の海軍基地建設問題を一地域の問題とせず、東アジアの島々、諸地域で共有し、連帯する目的で始まりました。その後、沖縄や台湾で開催されています。(毎回主催者が変わる)

今年は琉球弧の軍備強化が著しく、台湾有事という造語によって沖縄の島々の不安が強くなってきていることから宮古島での開催を決めました。

初日の車座



五十名以上の参加があり、その内の約半数が海外からの参加者となりました。

国名、地域名をあげると、韓国、台湾、香港、中国、ハワイから二五名以上の人々が集まりました。

特に中国からの参加者が居たことがとても重要で意味のある事でした。日本人の多くは中国という国に対して不安と不信を抱いています。その理由は勿論、中国政府自身の行為によるものもありますが、中国を敵対視する米国に追従する日本政府とそれを報道するメディアによって、中国を恐れる風潮が作られているからです。確かに中国政府が国民やメディアや宗教などを統制下に置き、思想統制のような事を行っている情勢は実に恐ろしく、私自身中国へ行くのと、その他の外国に行くのとでは、同じ気持ちでは行けません。

しかし、だからといって中国人を全て恐ろしいと思うことは理に叶ったことではありません。十数億人といわれる中国人がみんな同じ様な考えを持っているという事はありえないからです。

しかし実際、中国人の親しい友人がいなかったり、中国に行ったことがなかったりして、日本人は否が応でもメディアから流れてくる中国関連のニュースを元とせざるを得ないのが現状だと思います。

ハングルと中国語の横断幕



そんな中、中国出身の三人(たぶん二十代位)が、それぞれの考えや意見を話してくれました。その中でも声をあげる事が出来ないという事が一番大変な事で、国外にいても中国国内に居る家族の事などを思うと名前や顔を出すことは厳しいということ。日本人が声をあげられることを羨ましくさえ思うというのです。

一人は「中国の白紙運動で出会った多くの人達は日本の右翼との繋がりを持っていて、中国共産党の打倒さえできれば他の問題は重要では無いという考え方でした。一時日本の活動家達とウイグル問題等で一緒に活動しましたが、私と意見や考え方が違ったので彼らから離れました」と話してくれました。

敵の敵は味方だから?沖縄で米軍基地に反対する方達の中で中国に親近感を持つ人が多い事に驚きました。しかしその図式もやはり違うと思います。中国はウイグル人に対してやっていることはナチスと同じ反人類的な罪であり、その他にも色んな意味でやばい国です。また、中国国内では沖縄へ対しての関心がないです。何が行われているかのかも知りません。」と話してくれました。

又、「中国は洗脳された一枚岩ではなく、独自の思考の文脈と、様々な独創的な行動が存在しています。ですから日本の皆さんには中国で声をあげ行動する人達の限られた声に耳を傾け、中国の人権問題の為に声をあげて頂ければと思います」。と私達に彼女の想いを直接伝えてくれました。

 

香港や台湾の人達も参加していて、反目し合う政治・社会情勢の中、この三地域の人達が腹を割って話すことも普段は出来ないと言っていたことが印象に残っています。

食事中は大切なコミュニケーションの場



香港では今までピースキャンプに参加したことのある仲間やその友人知人達が裁判に掛けられていたり、国外に逃れて行ったりと、直接その実態を聞くとかなり厳しい状況であることが分かりました。所謂国安法(中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法)によって香港の状況は一変してしまったようです。過去にSNSに投稿した内容(香港の若者の多くが民主化や独立、中国批判等を書いていた事は容易に想像できる)で警察が突然家にやって来ることもあるということです。しかし、明確な違反の基準が分からないので、捕まる人、捕まらない人の違いが分からず、いつ自分の所に来るか分からず、夜眠れない人が多いということです。

 

台湾でも中国による武力統一の脅威に対して、軍備増強が進められていて、沖縄で一定の発言力のある非軍事による対話・外交での解決方法などといった考え方は圧倒的に少数のようです。台湾からの参加者の一人が“今まで、国際政治や安全保障論の視点で台湾と中国の問題解決方法を捉えていましたが、宮古島自衛隊基地に反対する人々との交流を通じて、「反戦」や「平和」を理念や思想としてではなく、生き生きとした個々の人々の「ライフヒストリー」として見るようになりました。したがって、理念や思想は温かさを持ち、生き生きとした人々とのつながりを持つようになりました。このため、軍事基地や戦争に反対する理由を理解することができるようになりました。これは以前の私が理解できなかったものでした”と語ってくれた事はとても印象に残りました。

みんなで歌って踊る



韓国の人達(済州島)は日々の平和活動の紹介をしてくれました。韓国では平和運動の中でとても陽気な歌や踊りをするのですが、それを自衛隊基地前で、皆で踊り、とても盛り上がりました。韓国の人達の強さと陽気さは平和運動をとても楽しいものにしてくれます。若者たちが多いのもなんとなく理解できます。

 

宮古島側でも多くの方達が関わってくれました。

最初に仲宗根將(まさ)二(じ)さんという郷土歴史研究家の話を聞きました。済州島宮古島、台湾と宮古島琉球王府と宮古島の関係などを話して頂きました。

 

二日目は仲里盛(せい)繁(はん)・千代子夫妻に話しと、清水早子さんの自衛隊基地の説明、上里清美さんの女たちの碑(朝鮮人慰安婦の碑)の説明を受けました。

午後は弾薬庫が造られている保良の自衛隊基地前で下地博盛さんの話を聞き、公民館で下地茜さんが声を掛けてくれた地元の方達と交流しました。

三日目は三グループに別れ、石嶺香織さんの宮古上布ブーンミ体験(ブーとは苧(ちょ)麻(ま)のことで、苧麻を手積みすることを宮古島では「ブーンミ」という)。楚南有香子さんのノニの実収穫(雨の為予定変更し、博物館とハンセン病資料館へ)。近角敏通さんは下地島歴史ツアー。

午後は狩俣公民館で「労働者協同組合かりまた共働組合」の方の作ってくれたヴィーガン(動物性食品を使わない)料理を食べながら、交流をしました。今回のピースキャンプでの食事提供は過剰な食肉生産による地球環境への負荷と、大量生産の為に家畜に対して余りにも酷い飼育方法を行っている事に与しない為に、肉食を減らし、現地の材料で調理して貰いました。(島で取れた刺身の差し入れもありました)。

最後の夜は蝋燭を囲み、キャンプ中発言の少なかった日本の参加者達が話しをしました。

最終日はお世話になった青少年の家を皆で清掃し、車で漲(はり)水(みず)御嶽(うたき)まで移動し、地元の神人、根間忠彦さんの話を聞き、皆で祈り、カママ嶺公園まで平和行進をしました。カママ嶺公園の憲法   九条の碑では尾毛(おもう)佳靖子(かやこ)牧師の話を聞き、参加者のみづき・あすみ姉妹の九条の歌を聴きました。      そして最後に、九条の碑の近くに在る「愛と和平の碑」(宮古島民台湾遭害事件の和解の碑で台湾南部の牡丹郷の牡丹社事件紀年公園にも同じ物が有る)の前で台湾のパイワン族宮古島民の歴史と和解への道を振り返りました。

 

3泊4日の短い時間でしたが、シンポジウムや講演会の様に誰か特定の人の話しを聞いて終わりではなく、車座になり、一人一人の話に耳を傾ける事が出来ました。又、自由時間を使って更に個人個人の繋がりを作り、今回だけで終わる人間関係ではなく、これからも連絡を取り合えるような人間関係を作ることが出来たことが大きな成果であったと思います。

三日目の車座話し合い



改めて実感したことは、どの国の人間であっても一人一人異なった考えや意見を持っているという当たり前の事です。日本という共同体社会のマスメディアに接していると、中国はこういう国で、韓国はこういう国で、台湾はこういう国(地域)で、香港、ハワイについても特定のイメージを持ってしまっていますが、実際に人と会って話すと、共感できる事があり、また色んな違いについても知ることができます。

考え方や当たり前が異なる事は決して悪いことではなく、その差異を楽しみ、その差異が生まれた背景を学ぶ事はとても面白い事だと思います。

 

相手を知る努力をすれば、怖がる必要はなくなります。それは誰も心から争いを望んでいる者などいないからです。知り合い、友情を結び、国境など無い新たな共同体を作りましょう。その繋がりは必ず、戦争を生み出す恐れや憎しみを超越する力となると信じるからです。

 

「人間同士が連帯できないこと、手を取り合えないことは、人間として恥ずかしいことである」

 

                                       合掌 

南無妙法蓮華経                   鴨下祐一