沖縄からみえる世界   地球・生命・宗教・先住民

人間が誕生し20万年が経つ。12万5千年前より火の利用を始め、10万年前にアフリカを出たと言われている。そして、5千年前にエジプト、黄河をはじめとする初期の文明が起きた。それから約2800年前になるとローマ時代が始まる。 つい250年前に産業革命が起きると、地球・環境・生命・宗教・先住民へ大きな影響を与え始める。西暦2017年の現在より、過去、未来を考える。

安倍晋三銃撃事件 ハン氏ドイツ人記者の考察

 

安倍晋三銃撃事件…
 
毎週金曜日早朝、嘉手納基地第一ゲート前でのカデナピースアクション参加から帰りの道中、
ラジオから流れる、「安倍元総理が血を流して倒れています!」との恐ろしい声に、暫く、呼吸が上手く出来なかった。
その日は、なるべくそのニュースに意識を持って行かれないように気をつけた。
メディアはほぼ、半狂乱状態で、同じ事をくり返す呪文のようだ。その日は、脳内に刷り込まれるような情報は欲しくなかった。
この様に、大きな事件が起きた時、素早く、自分の考えや想いを書き込むことは、自分としては、ちょっと恐い。。。
しかし、結局は大勢の人が書き込むのだから、少しは冷静な書き込みも必要だと思うから、素早い書き込みに反対したくはない。
逆に、なるべく冷静な書き込みが増えれば良いと思う。
しかし、私の様にいつまでもモヤモヤと、頭の中で様々なニュースや考察などを整理して、ひとりで落としどころを見つける人もたくさんいるだろう思う。
そんな日々の中、読んでいて、絶妙(?)だなと思った、南ドイツ新聞のハン記者の事件の考察に腑に落ちる事が多々あったので、シェアしたい。
以下から。
『弱者に冷たい日本社会』
独紙「南ドイツ新聞」のトマス・ハン記者は、安倍元首相の殺害がなぜ起きてしまったのか、この死が何を意味するのかを考察している。
犯人である山上徹也容疑者(41)は、「母親が統一教会に多額の寄付をし、家族が崩壊していたため、統一教会のトップを殺したがっていた。だがそれが難しかったため、宗門とつながっているとされる安倍晋三を狙った」とされる。
しかし、何が彼をそのような行動に掻き立てたのか。ハン記者は、「彼が殺人犯になったのは、その不安定な人生がどうなるのか、誰も疑問にせず、気にかけなかったからだ」と述べる。
そして今回の事件は、
「制度に馴染めず、挫折した独身男性が、その不満をどうしたらいいかわからず、他人を攻撃する」
という近年相次ぐ殺傷事件と類似するとしている。
2016年の相模原障害者施設殺傷事件、2019年の京都アニメーション放火殺人事件、2021年の京王線殺傷事件などがその例だ。
このような事件を引き起こす根底にあるのは、日本の社会のなかで、孤立してしまう人がおり、彼らを救済する仕組みがあまりないことだという。「南ドイツ新聞」は別の記事で次のように指摘する。
「集団社会である日本では皆が社会に奉仕する自分の仕事をすることで、全体がうまくいき、誰も邪魔をしない。そこでは比較的スムーズに生活ができるが、人と違ったり、成功しなかったり、ルールやヒエラルキーに適応できない人は、このシステムのなかですぐ孤立する。個人的な苦労や悩みを相談できる場もあまりない」
実家が破産していた山上容疑者は、壮絶な人生を送ったこと考えられる。職も転々としていたことから社会にうまく馴染めていなかったようだが、フォークリフトの運転手として働いた最後の職場でも、人と違う考え方をし、違うやり方に固執していたようだ。
「彼は独自の方法で荷物を積み上げ、会社の標準的な手順でやるべきだと言う同僚と対立していた。ルールが厳しい日本では、そこから簡単に逸脱することはできない」と例があげられる。
自分で考えたやり方が認められず、山上容疑者はさらに孤独感を感じていたのかもしれない。
『孤独を生む自己責任論と同調圧力
社会のサポートシステムが充分ではない「日本では、家族がもっとも重要な支援を提供する。たとえば社会的困窮者に対しても、まず国はその人を助けられる親族を探し、家族で解決させようとする。しかし山上の場合は家庭が崩壊していた」。
そのため彼を救えるものはなかった。
宗教に傾倒したという山上容疑者の母親も、「夫を失い、建設会社を継ぎ、3人の子供を養わなければならなかった。一人で働く親への支援が少ない社会の中で、彼女は明らかに何らかの支援を求めていたのだろう」という。
統一教会に惹かれた背景には孤独があったはずだ。
「我慢するように育てられる日本人は、生計を立てるために多くを我慢して暮らし、不満を言わない。しかし、ある一線を超えると人々は非常に感情的になる」とハン記者は見ている。
「その孤独のなかで破壊的な計画を立てる者もいるかもしれない」というが、孤立し、我慢続きだった山上容疑者は、破壊的衝動を次第に高めていったに違いない。
ハン記者は、
日本は多くの美しさを持つ一方、狭苦しくてモノトーンで、「都市は商業に支配され、無表情だ」と書く。
都市は「同じような家屋に埋め尽くされ、集団社会による全体の構造への同調圧力があり、問題は自分と家族で解決することが期待される」
無機質な中で、人の助けも充分には得られない都会。そこでは人と同じようにやることが求められ、一方でシステムから外れて問題を抱えると、自分達で解決しなくてはならずに困窮しがちなのだ。
『社会に関心がない日本』
ここでいう日本のシステムとは、
「会社の期待通りに働き続け、何があっても何も言わない」ことだとハン記者は続ける。
日本の仕事は、「旧態依然としたヒエラルキーのなかで、勉強したことにはかかわらず、会社に自由に配置される従順な社畜」になるか、「安価な派遣契約」で働く労働者になるかが多い。
どちらにしても暮らしにくいオプションだ。
安倍元首相はさまざまな戦略を実行したように見せかけていたが、日本の「人々が暮らしやすくなるような制度改革はなく、人々の不満にも感心を示さなかった」と批判する。
「無関心、お金の追求、それらは多くの国で社会を蝕んでいる。しかし、日本ではそれらが少し極端に出てしまっているようだ」とハン記者は懸念している。
というのは「日本人は、実はほとんど集団社会に奉仕する仕事にしか興味がなく、社会的な議論やマイノリティ、隣人などには関心がない」ためだ。
今の日本では「無関心」が広がっていると指摘する。
そして、日本の政治的な安定、政治家の安全が保たれてきたのはそれゆえだろうと分析する。
日本では事件直後、1930年代や60年代という、日本で政治家が暗殺された時代が引き合いに出されたものの、現代は「政治が感情を揺さぶるものではなくなっている」ため、当時とは状況が大きく異なる。現代の日本人は政治や社会に対する関心を失ってしまっているというのだ。
このような痛ましい事件を起こさないように、「孤立した男性に新たな展望を与えるにはどうしたらいいか、大きな社会的議論が日本には必要だ」。
しかし、そのような議論は起こりそうにもないことに、警鐘が鳴らされている。