沖縄からみえる世界   地球・生命・宗教・先住民

人間が誕生し20万年が経つ。12万5千年前より火の利用を始め、10万年前にアフリカを出たと言われている。そして、5千年前にエジプト、黄河をはじめとする初期の文明が起きた。それから約2800年前になるとローマ時代が始まる。 つい250年前に産業革命が起きると、地球・環境・生命・宗教・先住民へ大きな影響を与え始める。西暦2017年の現在より、過去、未来を考える。

広島 出会い直し 原爆供養塔 遺骨と個の歴史から見えてくるもの

1946年7月24日頃 中区中島町 毎日新聞

 

2013年から毎年、8月6日は広島で迎えている。

日本山妙法寺の僧となって15年、インドに居た時期を除けば、10年以上広島に来ている事になる。

広島の街を平和行進し、原爆ドームの前でお断食御祈念したりと、毎年濃厚な数日間を過ごしてから、8月9日の長崎原爆投下の日に向けて長崎へと移動する。

 

他の人がどうかは分からないが、自分の中では、この広島・長崎の一連の行動はルーティンとなってしまい、深く掘り下げることをせずにいたようだった。

 

堀川恵子著「原爆供養塔-忘れられた遺骨の70年ー」という本を読んで衝撃を受けた。

堀川恵子著 原爆供養塔ー忘れられた遺骨の70年ー 文春文庫



今まで毎年通っていた広島の平和記念公園内にある原爆供養塔の歴史を知らなかった。

原爆投下の翌年、仏教でいう三回忌にあたる8月6日は家族を失った多くの市民が自然と供養塔の周りへと集まった。まだ平和祈念公園が出来る前、焼け野原の中に供養塔が建っていたという。

 

その原爆供養塔に通い続け、清掃し、納骨堂の中に納められていた御遺骨を遺族の元に返すという事をされた被曝者の佐伯敏子(2017年没)さんの事を知らなかった。

納骨堂の中には一家全滅などで身内の見つからない遺骨や氏名の判明しない遺骨約七万柱が今も納められている。1955年当時、氏名が判明しているにも関わらず引き取り手のない遺骨は2432柱あった。そして現在824柱残っているという。

 

広島が軍都として、日清戦争の時は大本営が東京から広島に移され、当時の首相伊藤博文をはじめ帝国議会、各議員、そして明治天皇まで広島にやって来た(広島城に住んだみたい)事、広島市の宇品(現在の広島港)に陸軍船舶司令部(暁部隊)があった事、その港から中国や東南アジア更には南洋群島の戦争にも物資を供給していた一大補給基地であった事も知らなかった。

 

 

<継承>

あと5年~10年すると、戦争体験者たちもほとんどが鬼籍に入ってしまうだろう。

戦争の記憶を継承することは用意ではない。戦争体験者が居なくなってしまえば、どの様に非体験者である私達が、戦争の悲惨さを理解し、更にはそれを次の世代に伝えていけるだろうか?

忘却することは自然なこと、忘却できるから平和もあるという意見もよく聞く。

それもそうだろうが、過去を学ぶということはことは、決して過去だけを学ぶことではないのだ。

また、誰かの人生を通して歴史を学ぶとき、それらはただの情報としてではなく、感情を伴い、想像力が働き、その人の歴史が自分の中に落とし込まれていくのだ。

 

中には、歴史を学ぶ事を軽視する人もいる。

勿論箇条書きにしたように歴史を学べば、面白くもないし、人生の役にたたないかもしれない。

 

継承するということは、戦争体験者の“想い”を受け継ぐということだ。

過去に何があったか、何故起きたかを学び、色々と想像を働かせると、ふと、今と繋がってくる。人間の愚かさ、人間の尊さというものを見えてくるのだ。

 

そのような意味に於いて、過去を学ぶ事で、人の暮らし、営み、その移り変わり、何故現在目の前の光景となるに到ったかに想いを馳せることは、決して無駄ではなく、社会の理を見出せる行いだと思うのである。

 

 

今回広島で、今まで幾つかの点だけしか広島を知らなかった私が、更なる点を知ることが出来たことで、より深く、より広く、広島の原爆投下の以前以後、多くの点と点が線となり、又、更に広島を知りたいと思うようになっている。

 

何事にもモチベーションがなければ続かない。

今回、広島の新たな歴史の一面を知れた私は、広島の街に興味を持ち、もっと歩いてみたいと思っている。

 

原爆供養塔ー現在ー

佐伯敏子の言葉

〈そりゃあ、昨日今日のことじゃないから、大昔のことはもういい加減にしてくれっていうのが当たり前よね。それが人の心。生きている人の気持ちはコロコロ変わる、さっきまで泣いていた人が、ひょいと忘れてしまう。だから迷ったときは、いつも死者の気持ちになって考えたらいいんよ。20万もの死者達は、親子であったり、夫婦であったり、先生であったり、それぞれの務めがあったんよ。20万もの死者がおられるという事実は、自分ひとりでも、知ったものの責任として伝えていかなきゃね。たったひとりでもやらんといけんよね。

今は伝わなくても、歩き続けることが大事なんよね。その人が知りたくなるのを待たないといけんよね。いつか通じ合う時がくる。目には見えないけどね、蒔いた種はいつか芽が出てくるからね。〉

 

在りし日の佐伯敏子さん

“戦後生まれの私達には過去に起きた戦争の加害責任はないだろう。しかし将来、同じ過ちを起こさないようにする責任はあるはずだ。だからこそ、歴史を学ぶ事は大切なのだ”。