沖縄からみえる世界   地球・生命・宗教・先住民

人間が誕生し20万年が経つ。12万5千年前より火の利用を始め、10万年前にアフリカを出たと言われている。そして、5千年前にエジプト、黄河をはじめとする初期の文明が起きた。それから約2800年前になるとローマ時代が始まる。 つい250年前に産業革命が起きると、地球・環境・生命・宗教・先住民へ大きな影響を与え始める。西暦2017年の現在より、過去、未来を考える。

3.11 次の時代への選択

混沌とした時代の中で、人間が抱える様々な問題を突き詰めていくと、私たちは押さえようのない無力感に襲われる。

それは、正しい、ひとつの答えが見つからないからであろう。

が、こうも思うのだ。

正しい答えなど、初めから存在しないのだと。。。

そう考えると、少し胸がホッとする。

正しい答えを出さなくてもよいというのは、なぜかホッとするものだ。

しかし、正しい答えは見つからなくても、私たちは、その時代、時代にずっと問われ続けながら、なにかの選択をしてゆかなければならないのだ。

 

 

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宮城県名取市閖上(ゆりあげ)の中学は一階部分が津波にのまれ14名の生徒が犠牲になった。生き残った学生の大人たちへの悲痛な叫びだとおもう。

 

 

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福島県浪江町請戸地区だったとおもう。

地震の後、津波に町がのまれた。福島第一が爆発して避難指示が出され、生き埋めの人間の捜索は中止になった。

海岸に出れば第一原発の煙突が見える近さだ。

だけど、放射線量は驚くほど低く、0.1µ㏜位だった。

正しい情報が伝わっていれば、捜索も打ち切らずにすんだはずだった。

 

 

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人類はときに考えられないものを創造する。

この壁は東北の海岸線に延々に続く堤防だ。

津波に対する漠然とした恐れ、そして建設から生まれる莫大な利益。

人類が作り上げた壮大な物として、ピラミッドがあり、万里の長城がある。

私は、この堤防も壮大な歴史の遺物のひとつになるのだろうかと考えてしまった。

津波を防ぐといった意味からは、あまり意味のなさそうな、そして、その代償として、人と海を切り離してしまった事は、人間に大きな影響を残さざるを得ないだろう。

 

 

f:id:worldeyes2017:20180317145704j:plain浪江町請戸

 

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 被災者の言葉

 

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宮城県女川町

 

 

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地元のおじいさん。87歳

 

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福島県南相馬市小高区海岸

 

 

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福島県いわき市道の駅

 

 

f:id:worldeyes2017:20180317145815j:plain福島県飯舘村の牧場の馬

高濃度に放射能汚染された飯舘村は去年の三月末に除染は完了したとして村南一部を除いて、政府の避難指示が解除され、法的には住めるようになった。元々6000の人口の内400弱が戻ってきているという。

工事や除染関係者そして役場の人以外では更に少ないと聞いた。

子供を持つ親たちや、若年層の帰還は少ないそうだ。

 

細川牧場の細川さんは避難指示が出た後も村に残った。

家族同様の馬たちを見捨てられなかったからだ。

他の牧場の馬や牛たちの面倒も、避難した牧場主たちの代わりに見た。

しかし、多くの馬が、原因不明の病気で死んでいったと、細川さんは話してくれた。

 彼は放射能だよと云った。

 

七年が経過した福島の放射能問題の現状はあまりにも複雑だ。

福島に滞在した五日間、毎日地元紙の二紙に目を通した。

 

その印象としては、放射能を必要以上に恐れる必要はないといった内容であったように感じた。農産物や海産物の出荷の事、子供の甲状腺検査結果の事、食品や空間線量、土壌汚染の事もデータを使い大丈夫であると記載されていたように思う。

 

科学者でない私達は、データなどを出されて、大丈夫だと言われると、そうか、と思ってしまう。

しかし、一方で、放射能問題の危険性を訴える学者をはじめ、警鐘を鳴らす人は大勢居る。しかし、新聞や、県内の公共機関の広報では、それらの意見を目にすることは無かったように思う。

 

国、地方行政、原子力機関(国内・国際的)は安全性を一生懸命宣伝している。

安全性を一辺倒に宣伝する姿勢が逆に、私には疑わしく思ってしまう。

県民の人達はどの様に思っているのだろうか。

 

心では不安に思っていても、口には出さない、のだろうか。

 

数年前にこんなことがあった。

東北を慰霊と脱原発を祈って歩く行進で約10名ほどが、南相馬市の小高区にある、住民支援や情報交換の場を提供するプラットホームという場所に行った時だった。

 

県外からの参加者も多く、放射能の問題に関心が高い人が多かった。

小高区は当時、まだ避難解除が出されていなかった、避難解除準備区域であり、これから戻ってくる人達のために、準備を進めていた。

 

そんな時に、行進者たちが、始めから放射能の事だけを聞くのに、そこの職員の人は、いらだちを隠さなかった。

 

これから帰還し、住もうと決めた人達はそれぞれが、それぞれに考え、悩み、戻ってくることを決める。

住民にとっては問題は放射能だけではない。

そこには、歴史、田畑、家、墓、コミュニティがあった。

それら、様々なものを考慮し、天秤に掛け、ある人は、あの人が帰るなら自分も帰ると決心する。

 

福島県外から訪れる私達は、福島の人達がすでに近隣の人達とは話題にできなくなってしまった、放射能の問題を話すというは、大切であり、重要なことであると思う。

 

外からの声がなければ、福島で放射能の問題を心の中では心配している人達は孤立してしまう可能性がある。外から来る、ある意味、空気を読めない、部外者が放射能の事で発言することで、福島県内でも、全くのタブーとなる事を防げるのだろう。

 

3.11後、多くの人が、現代社会の在り方、文明とはなにか、人間とはなんなのかを考えざるを得なかっただろう。

それは、覚醒となり、目覚め、気づきとなって、多くの人を、自然と人間の関係性を考えさせられた。

 

あきらめることなく、一日、一日を大事に生きなければ改めておもう。