辺野古、camp schwab ゲート前
PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)
心的外傷後ストレス障害 =<命の安全が脅かされるような出来事(戦争、天災、事故、犯罪、虐待など)によって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらしているストレス障害である>
沖縄人で米軍による被占領時代を経験した世代。
1972年(昭和47年)に日本に施政権が戻ったので、年齢で云うと、46歳が1972年生まれだろう。
しかし、しっかりとした記憶があるのが大体、6歳くらい、だとすると、52歳以上であれば日本復帰を覚えているはず。
辺野古に毎日通ってくるのはほとんどがこの上の世代だ。
やはり、記憶や経験というものは、情報よりもその人個人を動かすのだろう。
辺野古だけではなく、沖縄で会う多くの人達は家族、親戚、知人を沖縄戦で失ったと言う。
或は、45年から72年の間に米軍からの被害を記憶している。
この事を考えるとき、沖縄の人達が、怒りや憎しみを持っていることは、必然的であるといえる。もっと言ってしまえば、この感情は健全でさえあると思う。
私は、今まで20カ国くらいの国に行く機会があり、その国々の中で幾つかの国では、国家権力に対する民衆のデモや様々な行動を見、また参加してきた。
嫌なものをイヤというのは当たり前のことであって、嫌なことをされてイヤといえないのは不健全であると思う。
私はこの国の、殊に若い世代(40代以下か?)が目に見える行動に出てこないというのには、何か違和感を感じる。
例えば、沖縄でも、福島でも、或は、非正規労働者や低賃金労働者などの若者達は鬱憤が溜まっていないはずがない。
それなのに、行動に出ない、言動にも出てこない、この不自然さは何なんだろう。
話しは沖縄、辺野古のことに戻るが、私は連日辺野古の座り込みに参加し、そこで会う60代後半から70代、そして80代の人達と時間を共にすることで、自分と周りの人達とのギャップを感じる事がある。
その溝とは怒りの感情だ。これは若者全般に言えることかもしれないが、辺野古で警察の暴力的な対応にあっても、私には強い怒りがわいてこない、怒って当然だとも思う。しかし、私の中にはなかなか、怒りという感情がわいてこない。
自分は感情面で欠陥があるのかとも思ったことさえある。
話しをPTSDに戻す。
先日、何年もほとんど毎朝顔を合わせているおじいが、自分の話しをした。
彼は、父親を戦争で亡くした、あと家族も数名死んだと話してくれた。
私は「これだっ」と思った。
私にないもの、そして、おじい、おばあに有るもの、それは「経験」だ。
私はこれはPTSD のひとつであると思った。
そして、怒る彼らを敬遠する心が、私を含む、若者達の中にあることに再び哀しみを覚えた。
想像する力は一朝一夕で培えるものではない。
相手の胸の内を想像し、理解に至るが、想像することは思いのほか難しい。
いつか、離ればなれになった心が繋がって欲しいと思った。