沖縄からみえる世界   地球・生命・宗教・先住民

人間が誕生し20万年が経つ。12万5千年前より火の利用を始め、10万年前にアフリカを出たと言われている。そして、5千年前にエジプト、黄河をはじめとする初期の文明が起きた。それから約2800年前になるとローマ時代が始まる。 つい250年前に産業革命が起きると、地球・環境・生命・宗教・先住民へ大きな影響を与え始める。西暦2017年の現在より、過去、未来を考える。

命の行進2020 福島2/29~3/11

震災から9年目を迎えた今年、コロナウイルスの世界的蔓延が原因で福島でも震災関連行事は殆どキャンセルになってしまいました。
「命の行進も中止に」という意見も出るなか、佐藤上人・矢向法尼・鴨下の3名で話し合い、歩くという決定を出しました。
6名が参加を見送られ、宿も2カ所が泊まれなくなりました。
そんな状況で始まった行進ですが、今回は「話し合う」という事をひとつのテーマとしていました。
今回、久しぶりに佐藤達馬御上人様がネパールから命の行進の為に戻られることになり、準備の段階でSNSのチャットを使い、ネパール・成田・沖縄に居ながらでも3名で話し合いを重ね、出したテーマでした。
今までの命の行進では毎日毎日、歩き終わると、お風呂や食事などに追われ、お互いに深く話し合う機会が持てていませんでした。そのため今回は行進者同士、或いはお世話になる地元の人達との、意志の疎通、深い話をもっとしていこうということになりました。
近しく親しい仲であっても意外と、深い話とは出来ていないもので、今回はマンダラワークという手法を用い、2時間、3時間かけて、自分とは何か?未来とは、分断とは、調和とは何か?というような事を話し合いました。
仲間同士、また、新しい参加者と共に、今一度、理想として掲げられている言葉や現代社会を表現するのによく使われている言葉の意味、認識を確認し合うという作業は大事だと感じました。
これからも、歩く意味、祈る意味、平和行進の意味など、参加者同士が深く掘り下げて、話し合う事で、歩くこと、祈ることの理解を深め、新しいご縁の人達とも、平和行進の意義、可能性を共有していければと思いました。
行進の出発は福島県のほぼ中央に位置する猪苗代湖から、福島第一原子力発電所が望める請戸海岸へと歩きました。福島県全土、東日本全域に降り注いだ放射性物質たちは、時間の経過と共に、降雨によって低いところへと移行し、河川へと、海へと流されていきました。
「水」への祈り、感謝と謝罪の想いを込めて、今回は出発地に猪苗代湖という福島県を代表する湖を選ばせて頂きました。
猪苗代湖を出発して6日目だったでしょうか。南相馬市で休憩していると、事務所から行進団を見た女性が暖かい飲み物をご供養下さいました。話をしていると、彼女は真言宗豊山派の信徒さんで、宗派は関係なく歩いている姿を見てありがたかったと感じて下さったようです。
話が原発のことに及ぶと、「福島=原発になってしまった。」「原発はもう過去の事。」とお話しになり、慰霊して歩く事などは共通の話題として話がうまく運びましたが、原発の話題になると、お互いの認識や考え方にギャップがあり、話がぎこちなくなってしまいました。
今年、震災後初めて飯舘村を歩きました。飯舘村放射能汚染が酷かったため、全村避難となりましたが、除染後も山林など人が踏み入らない場所の線量は高く、歩く事を避けてきました。2017年に避難指示が解除されました。震災前の人口は6509名の小さな村でしたが、福島一美しい村であると言われていたようです。気候が厳しいため、手間暇惜しまず、丁寧な暮らし、心を込めて、相手を思いやるという意味の“までい”という言葉文化を持つ村だったようです。 “までい”な生活を求めて都会からの移住者も多かったと聞きました。
宿泊場所には飯舘村の佐藤八郎さんという村議員さんがお話しに来て下さり、震災後の人口は1408名と発表されていますが、住民票は村に置き、村外で暮らす人も多く、実際に住んでいるのは300人位だろうと話されていました。
行進団に対して、様々なお話しをして下さった後に、「こんな小さな村ではいくら声を上げても、効果がない。是非、東京で大きな声を上げて頂きたい」とお話しになりました。
毎年参加していた「原発いらない福島の女たち」3.11の集会もコロナウイルス感染拡大を考慮し中止となりました。メンバーの一人、黒田節子さんは郡山市内で、小さな集いを開かれ、そこに命の行進も参加させて頂きました。
行進団のメンバーが各々話をする中で、「福島は希望です」と佐藤御上人様がお話しになると、黒田節子さんは涙を流されました。
最前線で行動している人は、身を削り、時間を捧げ、どれだけがんばっても、政府や権力は、こちらの望む理想を悉く打ち壊します。
そこに思い浮かぶ言葉は「絶望」「怒り」「憎しみ」であり、「希望」ではないのです。
ここ5年ほど、毎年3月10日は南相馬市小高区の同慶寺から浪江町請戸海岸へ慰霊供養の行進を続けてきました。小高区は津波被害直後救助が行われていましたが、原発爆発により救助隊が避難しなくてはならなくなり、瓦礫の下に埋まっていた、助けられたであろう命が助けられなかった地域であります。実家が請戸で、5年前から一緒に歩いていた檀家のお爺さんの姿を今年は見ることが出来ませんでした。足腰が弱ったと聞き、9年という月日の長さを感じました。そして11日は同慶寺で仏教、神道キリスト教合同で慰霊法要を勤めました。
福島県においては、2月現在、県内に9408人、県外に30914人、合計40322人が避難を継続しています。また現在は数字には表れていない区域外避難者も多くいます。
「福島に住まない私たちに出来る事は何か?」
「福島が示す、人類への普遍的なメッセージは何なのか?」
自分自身に問い続けることを忘れてはいけないのだと思います。例え、明確な答えなどなくても、悩み、模索し続けることこそ、福島を忘れないという事なのだと思います。
福島で見た涙に対して、安易な言葉ではかたづけられない深い申し訳なさと責任感を感じました。
来年で東日本大震災発生10年を迎えます。
命の行進も来年を見据え、今から準備をしていこうという事になりました。
南無妙法蓮華経