沖縄からみえる世界   地球・生命・宗教・先住民

人間が誕生し20万年が経つ。12万5千年前より火の利用を始め、10万年前にアフリカを出たと言われている。そして、5千年前にエジプト、黄河をはじめとする初期の文明が起きた。それから約2800年前になるとローマ時代が始まる。 つい250年前に産業革命が起きると、地球・環境・生命・宗教・先住民へ大きな影響を与え始める。西暦2017年の現在より、過去、未来を考える。

日本の辺境の沖縄島の辺境「宮古島」の”声に出せない想い” 

 

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宮古島にやって来る軍事施設と兵器

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千代田自衛隊新基地の概要

 

2月11日@宮古島


宮古島「北東アジアの平和や軍事基地について考えるシンポジウム」が開催された。
韓国のピョンテクとチェジュ島(カンジョン村)から計9名の基地問題に取り組む人達が自衛隊のミサイル基地建設で揺れる宮古島にやってきた。

ピョンテクは世界最大規模の米陸軍基地を抱える。
カンジョン村は2016年に住民の反対をおしきり韓国の海軍基地が建設された。

 

今回、一年ぶりに宮古島に来て、観て、感じた事をお伝えしたい。

 

一年前に来たときはまだ更地で、整地作業をしていた千代田の自衛隊新基地は完成に近づいていた。兵舎が立ち並び、うたき(地域の祈りの場)の森はもう森とは呼べないほど縮小されていた。そして、さらには弾薬庫(住民には周知されていない?)そして700㌧の燃料タンク群が設置された。しかしその下の地盤が極端な軟弱地盤であることが明かになったようだ。3月には隊員がやって来るという話しだった。

 

宮古島自衛隊基地建設は辺野古の新基地建設に比べて沖縄県内でも反対する声が小さい。

 沖縄県政としても自衛隊基地建設には明確に反対していない。

 

宮古島選出の県議会議員にも自衛隊基地建設反対の民意を汲み当選した議員がいるが、辺野古反対で一致するオール沖縄の議員団のなかでは自衛隊基地反対はタブー視され、語ることを忌避されている。保守・革新で一緒になっているオール沖縄では自衛隊基地まで反対するコンセンサス(合意)には到っていない。

 

ここで、問題になるのは自国の国防を担う、また災害救助などでも活躍する自衛隊に反対するのは難しいという考え方があることだ。
確かに、自衛隊は災害救助に於いては、大きな仕事が出来る集団であることは事実だ。
しかし今回、宮古島にやって来るのはミサイル部隊をはじめとする実践部隊といわれている。中国の海洋進出を牽制する狙いだ。さらに米軍との共同使用が始まれば、米軍と自衛隊の共同訓練が宮古島で行われる可能性は決して低くない。

 

チェジュ島のカンジョン村も自国の海軍基地という事であったが、米軍の戦艦や潜水艦が寄港するようになった。さらにはゴミや汚水の海洋廃棄など海軍事基地は環境汚染を起こしている。軍服を着た兵士が村内を歩き回るようになった。そして、歴代の村長は反対の立場であったが、新しい村長は賛成の立場であり、住民達のなかで分断が大きくなっているということだ。

 

沖縄は日本の辺境であり、差別され、米軍基地が押しつけられてきた、という歴史や現実は昨今ようやく理解され始めているように感じる。

しかし、沖縄の内でも宮古島をはじめとする離島は辺境である。
そして、琉球王朝の時代から宮古八重山への差別は存在した。

 

辺野古問題は今や国際的な問題となっている。
2月24日には県民投票も行われる。
しかし、県民投票で争点とされているのは“辺野古”だけだ。

 

宮古八重山自衛隊基地建設問題は辺野古埋め立て賛否の議論が進むなか取り残されてしまっていないか?
離島の人が辺野古の問題を自分たちの問題として考える事が大事なのと同じ様に、
本島の人が離島の自衛隊配備問題を自分たちの問題として考えるべきではないか?

 

宮古島の人の心の中には宮古島だって沖縄だ!!」という想いがあるように感じてならない。これは声に出来ない想いである。

日本->沖縄本島->沖縄の離島のような差別の構図を作ってしまってはいけない。

 

毎朝、建設現場前で反対の意思や想いを伝える為に少ない数の人が集まっている。

自分の島に自衛隊ミサイル部隊の基地が来て欲しくないとは、おそらく島民の多くが思っているのだろう。しかし、いや、やはり、近所付き合いの多い、親戚・血縁関係の多いお互いの顔が見える社会で反対・賛成の声を上げることは、人間関係をおかしくしてしまう。

 

 

今回、自衛隊基地問題の一連の行動に参加させていただいて感じた事を書きたい。

 

昨年、参加した一連の行動にはもう少し多くの宮古島住民の方が居たように感じた。

最初、私が思ったことは、一年でここまで建設が進んでしまい、反対の想いを行動に移す事に疲労感や無力感を感じているのだろう、と考えた。

しかし、ある1人の移住者で基地建設に反対している人と話をした時に、言っていた事にドキッとした。

「島の外からやって来る人達が目立つような運動ってどうなんだろう?」

その言葉を聞いて、今回の地元住民の参加が少なかった1つの理由かなと感じた。

 

外から来る私達は共同体が抱える表面化されない微妙な問題を知らない。

 

今回、韓国から来た人達の、元気な踊りや歌は、基地問題に疲れている人達を大いに元気づけ、勇気づけたことと思う。

 

しかし、会えなかった多くの住民達と交流する機会がなかった事はもったいないことだ。

人は遠巻きに、物事を見るとき、興味があっても、関心があっても、その中に入れないとき、どの様に、その物事を評価するだろうか?

私が出来ないことをしてくれて「ありがとう」と思う人もいれば、

何を勝手にやっているんだ、この島の事も知らないで、と思う人もいるだろう。

 

持っていない知識をお互いに分け合う事こそ外から来る私達の出来ることなのではないだろうか。

 

どんな問題でも、問題は、1地域の問題だけではなく、周囲に影響を及ぼす。(特に軍事基地となればそうである)

だからこそ、地元でなく外から来る私達にとっても当事者として考え、生きる必要がある。しかし、それでも、そこに住んでいない、外から来る私達は、より慎重に深く考慮して、問題に関わることが必要になってくる。地域がばらばらにならないように、1つなれるように、関わる事が大切だ。外の者はその地域の人の持たないアイデアを出す事が出来る、でもそのアイデアを採用するかは、その地域の人が決めるべきである。

 

日本の南西諸島の軍事拡大は日本人全員の問題であるのみならず、周辺諸国の問題である。

今回のように、周辺諸国の人達が来島し、交流することは、相互理解・信頼の為に大変重要なことである。

 

基地問題への対処方法として非暴力直接行動は大事な方法ではあるが、より多くの多様な人達と出会い、話し、相互理解を深めることは、もう一つの非暴力の平和構築の方法である

 

いろいろと、考えさせられる旅でした。

 

 

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千代田自衛隊新基地建設工事ゲート前で韓国の歌と踊りを皆で

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この日、大勢集まったことで防衛局は工事ゲートを閉じた

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韓国のチェジュ島からの報告と宮古の報告のシンポジウム

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アリランの碑は慰安婦たちの慰霊の場所