辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票が4週間後とせまってきている。
辺野古問題の本質は何なのか、考える良いチャンス。
私が埋め立てに反対だと思う3つの理由を示したい。
投票する上での一助となれば嬉しい。
1,私は沖縄に5年前に移住してきた。18歳までは東京に居たが、一度も沖縄の基地問題を考えた事はなかった。それでも小6の時と、高3の時に沖縄には旅行に行った。
目的は「海」。基地問題だけでなく、沖縄戦の事なども一度も頭によぎったことはなかった。だから、私は日本人が沖縄の問題にどれだけ関心がないかを身をもって分かっているつもりだ。学校でも、友人とも、家族とも、沖縄の問題について話したことはなかったから。
そんな自分でも沖縄に住んでみて、米軍基地がこれほど沖縄県民の生活に深く関わっている事は想像にもしていなかった。普段使う道路を毎日行き交う軍用車、頻繁に民家の上空を飛ぶヘリコプター。米兵による飲酒運転や暴行などは新聞で連日目にする。
あげればきりがないが、普段の生活の中で、私の意識に頻繁にあがってくる米軍問題。
そう、私が過ごした東京での18年間では一度も感じた事がなかった感覚。
そう、私が辺野古埋め立てに反対する第一の理由は、日本人として沖縄に基地問題を押しつけてきた事への責任感からだ。
2016年に20歳の女性(島袋里奈)が元海兵隊に惨殺された。
あの時に感じた喪失感と無力感は今までの人生で感じたことのないものだった。
捜索願いが新聞やメディアなどに載ると県民皆が無事に発見されることを願った。(心のどこかで殺されているのでは?米兵に?と少なくない人が感じていたのではないか)
彼女は私の知人の同級生だった。沖縄は狭い社会だ。このような事件のインパクトは人の心に計り知れない傷を残す。74年間。いったいどれだけの傷を負わされてきたのか。と想う。
2,上の写真はアフガニスタンの子ども達。
アフガニスタンには様々な部族が存在するらしく、言葉や文化も異なる。
彼らは孤児だ。何十年も戦争が続いている中東では、戦争のない世界を知らない人達がいる。
辺野古にあるキャンプ・シュワブの部隊は2004年イラクのファルージャで住民を虐殺している。その時、イラクに従軍した元米兵と話したことがある。彼は「Bad Guys(悪い奴ら)をやっつけた」、「住民を悪い奴らから解放したんだ」と私に話した。
先日、アフガンに住む友人から連絡があり、アフガンの青年達がピースウォークを始めたと聞いた。彼らの願い・要求は海外の軍隊をアフガニスタンから無くすこと。数百キロを歩き、各大使館を訪れたようだ。
第2の理由は、沖縄の米軍が海外で行う戦争行為に対しての責任。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、その他多くの戦争に使われてきた在日米軍。
この在日米軍の海外での戦争行為に、日本人には道義的責任があるのではないか?
3,辺野古の海、大浦湾は、数え切れないほどの生命が暮らす聖なる場所である。今、地球環境に対する意識は人間の歴史のなかでこれまで以上に高まってきている。それは、地球環境が壊されれば、私達人類が生きて行かれないからだ。地球環境に対する人間の意識は各地域で様々だ。今までの宗教・信仰は影響力を弱められ、経済成長・科学技術という信仰が人々の心を占領している。古い信仰・宗教には弊害も有ったが、倫理や道徳などにより、人間の暴走に一定の縛りを与えてきたように思える。経済成長・科学技術信仰に今後、どのようにして欲望の暴走の縛りをかけていくのかが問われている。
この地球という星を私達はどう観るか?海を川を山を木をどう観るか?動物を魚を鳥を虫を微生物をどう観て、どう捉えるか?
古くからの宗教・信仰が教えてきたことは、「すべては繋がっている」という事だ。
経済成長の為であれ、自国防衛の為であれ、土を汚し、水を汚し、空気を汚し、人そして命あるもの達への敬意を失えば、結局人間は苦しみの世界からは抜け出せない。
第3の理由は、海と私達人間は同じ未来を共有するもの同士であるのだから、埋め立てなどしてはいけない。
以上が辺野古の埋め立てに反対する3つの理由です。
投票の参考までに。
祈り。
祈りとは何だろうか?
対象に想いを向けることだろうか?
祈りが瞑想になり、自己を深く観察することもできる。
祈りが深くなり、瞑想も深くなれば、自分と自分以外を隔てていた壁が無くなる。
目の前に立ちはだかる相手も、障害も、私以外のものではない。