沖縄からみえる世界   地球・生命・宗教・先住民

人間が誕生し20万年が経つ。12万5千年前より火の利用を始め、10万年前にアフリカを出たと言われている。そして、5千年前にエジプト、黄河をはじめとする初期の文明が起きた。それから約2800年前になるとローマ時代が始まる。 つい250年前に産業革命が起きると、地球・環境・生命・宗教・先住民へ大きな影響を与え始める。西暦2017年の現在より、過去、未来を考える。

タイでダンマヤトラ(法の行進)を歩いて。ー相原更紗ー

感想として「美しい」「尊い」それが正にふさわしいものだった。

ちょうど臘八摂心の期間の12月1日から8日までタイの東北部チャイナプームで行われた「タンマヤートラ」(法の行進)に参加させていただいた。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、歩いてる(複数の人)、群衆、屋外

きっかけは去年辺野古に鴨下上人を訪ねてやってきた一人のタイのお坊さんに出会い、その後その年の6月からの沖縄ー広島の平和行進に他に3名引き連れて参加してくれたこと。
小さなリュック一つで寝袋やマットもなく、一人は足が悪くて歩けないという。何回お願いしても合わない太鼓。こちらが心配していてもどうにかなってしまう。そして当の本人たちはなんでもない顔で楽しそうである。
その様子に様々なことを気付かされ、また観光地だけのイメージであったタイがより近くなり、知りたいと思った。
そこでそのお坊さんが紹介してくれた行進「タンマヤートラ」に参加しようと思ったのだった。

「タンマヤートラ」は開発僧と呼ばれる森林保全や子供の貧困などに取り組む僧侶カムキエン氏が地域の環境保全のために始め、今はその意志を引き継ぐパイサーン氏を中心として、19年続く「法」(自然)のための行進。
いくつもの平和行進に参加し、関わってきた私は「ただ歩く」ことがいかに尊く、気付きに満ちているか、頭ではわかっていても感覚として忘れつつあったように思う。
特に期待もせず、繋がりを創ろうという目標をもち旅立ったのだった。

なんて美しく、尊いのだろう、それが私のこの行進の大きな感想だった。
タンマヤートラの1日はまだ暗い朝4時30分からの読経で始まる。30分ほどパーリー語とタイ語のお経が読まれた後は、パイサーン氏の法話が続き、その日の気付きの手助けとなる。
その後テントを畳むなど自分の身支度をし、読経のあとに食事係の方が用意してくださったり、村の人が持ち寄った朝食をいただく。
その後、歩きはじめる。

数百人の人間が言葉も交わさずただ黙々と歩く。
二人くらいのお坊さんが叩く太鼓のリズムが歩く上で時々支えとなるが、その2つのリズムは必ずしも合ってはおらず、そして常にあるわけではない。
昼食後の残り16キロを闇が深くなっても着くまで歩く。
それを支えるスタッフの人々、村の人々。一人としてイライラし、焦る人がいない。
数百人の食事も齷齪することなく、なんなら余るほど村の人々の持ち寄りや食事係の方によって美しく鮮やかに並べられる。
川での水浴び、洗濯。数百人に対して数個のトイレ、そこでの水浴び、洗濯。
電気の通っていない場所での発電機やソーラーを駆使しての毎日のお祈りの会場設営。
そんな無謀に思えることをこなしていく。鮮やかに成り立って行く様は見事。

「こうでなければならない」「こうあるべき」というものを感じる隙のない日々であった。
外からの言われた訳ではない圧力、自分で縛り付ける思い込み、圧力から解放されるようだった。
「ただ在る」ということが認められているような、妙な安心感はここから来るのだろうか。

信仰。
歩き、通り過ぎる村々では、それぞれの家の前に水や、ジュースが置かれ振る舞われる。ある村ではどの家の前にもその光景がひろがった。
そして家の人々が外でしゃがみ手を合わせている。お坊さんだけでなく、数百人と歩き去る人々に。
狭い道では我々一団が通り過ぎるのを待つ車の中でも手を合わせている人々。
朝食や昼食時にはその村の人々が意気揚々と食べ物を持ってやってくる。その活気たるや見事である。
そしてお坊さんたちによる読経が始まると、その数百人の人々は手を止め、その手を合わせてそれに続く。
その姿は本当に美しく、尊く、愛しい人間の姿だった。
そんなシンプルな姿に痛く感動した。
一人一人がとても尊く感じ、これだったらあまり自殺は選択肢に挙がらないんじゃないかと思った。
日本が忘れて来てしまったものを思い、同時に日本の中に無意識に残る信仰も発見したいと思った。

タイに行く前、普段仏教に関わり、辺野古の米軍新基地反対の座り込みに行く時間があるなかで、その現場で太鼓を叩き祈る意味を忘れつつ在ったように思う。
わからなくなっていた。
強行な政府や機動隊や防衛局や上から見下ろす米軍や飛び交う怒号に意識が向かい、無関心な世の中に諦めや憤りを覚え、外側ばかりに意識が向かい、外側をどうにかすることばかり考えていたように思う。頭ではわかっていても。
仏教に関わっていながら日々の生活と自分の思考の巡りと外側に翻弄され、内側の気付きや心の修行を忘れていた。

そんな時タンマヤートラに参加させてもらい、今本当に心からありがたいと思っている。
毎日2回ある読経のあとのパイサーン氏の法話は、その日のためのもしくは明日のための心の修行、気付きのヒントになるものが散りばめられていた。
疲れからうつらうつら聞いていても何かしら実践できるものを少しずつそこからつかんでいった。
「暑い」「疲れた」「あとどれくらいかな」「お昼は何かな」「次の休憩はあそこかな」
そういった歩く中で無数に湧いてくる思考に気付き、囚われて心を苦しめない実験の日々。

タンマヤートラを終え、辺野古の座り込みの現場で、内側にも意識を向け太鼓を叩き祈ることがどんなに難しいか、それがどんなに大切か改めて実感した。

日本、沖縄に戻り、私の日常が始まり、あまりの違いに戸惑いながら、あの気付き、実践を忘れないようにと過ごしている。
あのタンマヤートラの日々と辺野古の座り込みの日々は今は離れているように見えるかもしれない。
でも私は必ずこのゲート前のおじい、おばあの想いと、あの現場と、タンマヤートラで出会った人々、精神的な何かは融合できる、していくと思っている。もうしてるのかもしれない。
今垣根があるようにみえるあらゆるもの、若い人と年寄りと、政府側で働く人々、座り込みの人々、「無関心な人」と囲われる人々、人間の暮らしと自然と、そのあらゆる垣根を溶かし融合していきたい。ずっと思っていたそれはまた確かな思いになった。
心のなすべきことと自分のなすべきことを見分けて。。。

多大な協力と適当な放任で関わってくださった浦崎さんをはじめ、パイサーン氏、タイの人々、ライトハウスの人々、一緒に日々を過ごしてくださった人々に心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
これからの日々の大切な要素となりました。

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