沖縄からみえる世界   地球・生命・宗教・先住民

人間が誕生し20万年が経つ。12万5千年前より火の利用を始め、10万年前にアフリカを出たと言われている。そして、5千年前にエジプト、黄河をはじめとする初期の文明が起きた。それから約2800年前になるとローマ時代が始まる。 つい250年前に産業革命が起きると、地球・環境・生命・宗教・先住民へ大きな影響を与え始める。西暦2017年の現在より、過去、未来を考える。

名護市長選から1週間後に思う

名護市長選を終えて一週間が経った。

名護市民の日々の営みは何も変わらず続いている用に見えるが、やはり何かが去って行った後の様な、そう、例えば大きな台風が去っていった様な... そういう選挙だった。

大きなうねりと混乱を持ってきた名護市長選は、目に見えない深い何かを残して去って行った。多くの人達にはそれは、深い傷痕となった。

選挙後の一週間、毎日私は地元紙の沖縄タイムス琉球新報の選挙関連記事を読んだ。

辺野古の基地建設を何とか止めたいと思う私達は、日本政府の力の入れようをある程度は予想していたが、それがはっきりとした形で活字となり、また人伝いに聞いたりして、あらためて驚いた、というよりも、それを通り越して、感心してしまった。
(感心したといっても、この選挙制度の欠陥をどうにかしたいという想いが変わったわけではない。)

そう、ご存じの通り、日本政府は120%の本領を発揮して名護の市長選挙を闘った。

そして、新聞で報道されているように、稲嶺市長を応援する勢力は、準備でも気持ちの面でも、全ての面で出遅れ、結局巻き返すことが出来ず、残念な結果となった。

ただ勝てるだろうという自信だけはそれなりに持っていたが、それが逆に負けた敗因となってしまった。

前回の市長選では自主投票であった公明党が今回は相手候補の推薦となり 2000 票と云われる票田を失い、更に維新の会の 1000 票余も流れた。結果 3458 票という票差に大きく響いた。

(ということは、来たる沖縄県知事選で公明、維新を自民党に抱えられなければ、勝算は大きいが...)

今回、驚きと疑問を持ったのが、現職の官房長官が、名護市の会社の役員の携帯に直接電話をかけ、渡具知氏への支援を呼びかけ、又、企業等に期日前投票の取り組みを働きかけていたという事だ。
又、全国比例の国会議員等は建設、医師、郵便、遺族会など各職、地域・団体の代表として当選している事から県内の各地域や団体、企業を回り、街頭演説などで表に出ず、徹底して裏で“ステルス作戦”に徹した。

地元経済界も表向きの選挙事務所とは別に“裏選対”ともいえる事務所を構えた。
名護市を除く北部 11 市町村の保守系議員らが当番制で運営する「市外対策事務所」には地元の有力企業の東開発の会長も連日出入りし、会長自身渡具知候補ののぼりを持ち、経済界は一枚岩体制を築いていた、と新聞で報じられている。

そして、50歳から下の世代では稲嶺候補より渡具知候補への投票率が高かったという出口調査が出た。
「名護大通りの無料 Wi-Fi の実現」「複合型エンターテイメントシティー(映画館)を目指す」という、若い世代には魅力的な公約を訴え、LINE、InstagramTwitterFacebook という SNS を上手に使い分けた。

以下の URL から渡具知氏の公約を見ることが出来る。http://take-toyo.net/rinen


今回の渡具知氏の訴えは“暮らしの向上と経済発展”だった。
辺野古のへの字も言ってはいけないというのが至上命令だった。
そして、名護市は、稲嶺市政によって閉塞感が漂っていると訴え続けた。

この様な訴えが功を奏したようだ。

地方都市に有る“閉塞感”、“取り残された感”というのは名護だけではなく、全国の至る所に有る、現代の社会問題であり、それはとても根深い。各地域社会が自立を失い、大資本が毛細血管のように各地域に入り込み、地方の自給自足の経済を汚染していった事など、様々な要因からなるものであり、一市長の責任うんぬんではないはずだった。

逆に稲嶺(前)市長は数字の上では市の予算を前市政よりも百億円近く増やし、失業率を約7%減らし、子供の医療費助成、保育料の軽減、学校給食費軽減など、渡具知氏が訴えるような暮らしの向上と経済発展ではそれなりの実績を出しているように思う。

この閉塞感から脱するというメッセージが広く名護市民の心を捕らえたが、この閉塞感は辺野古をはじめとして、基地の問題が殆ど何一つ解決されないという意味で、県全体に基地問題の閉塞感が漂っている。

閉塞感は日本政府の沖縄への差別や強硬姿勢がつくりだしているものなのに、その閉塞感を基地問題が解決しそうに見えない稲嶺前市長の批判票となってしまったように思う。
なんて皮肉な事かとおもう。
日本政府によって虐げられている人達が、日本政府の代理である人を当選させてしまうなんて。

そう、心理戦といった面からも日本政府に軍配が上がった。
稲嶺陣営がたたかった相手は、渡具知候補というよりも、日本政府そのものだった。

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もう一つ気になる記事があった。

選挙戦両陣営の応援に関わった学生や若者達の記事と、辺野古の渡具知陣営を応援した青年達の記事だ。

ここでこの2カ所の若者達で共通するのは、心の奥底では基地建設に反対だということだ。

前者は名護市内の名桜大学の四年生で辺野古の座り込みにも行ったことがあるという。
彼はそこで、座り込みに来た人の路上駐車を地元住民が注意したところ、逆に強圧的に反論している場面に出会った。

又、“ゆんたくるー”という若者グループが基地問題を話し合うために、カレーパーティーを企画して辺野古に集まっていた時、そこで年配の人に、貴方たちは基地に賛成なのか、反対なのか、どっちなんだ!?と迫られたというような事もあったようだ。
この様に座り込みに来ている一部の大人達のふるまいが、若者達が寄りつかない原因を作ってしまっていることは、座り込み参加者がしっかりと認識するべき問題だと思う。


座り込みへの政府の弾圧が強まるのに比例し、余裕を失い、言葉使いが暴力的になり、初めて来る人達や、若い人達は、馴染めずにまた来ようと思わなくなってしまう。

マスクとサングラスで顔を隠すのには、それぞれの事情があってのことだが、客観的に見ると怖い集団に見えてしまっている。

座り込みに参加していない、他者からどう見られているかは、“超”重要だ。車で通り過ぎる多くの県民。
ふらっと、やって来る県内外の人達、そして、ネットや新聞でどう写っているか。これらの印象で人は座り込みに、参加するか、しないかの判断基準とするからだ。
(ネットでは“基地反対の過激派”、“プロ市民”、“暴力・違法集団”という情報が溢れかえっている。 )

パーマカルチャー(持続可能な社会)を勉強しているような人ですら、これらの情報を鵜呑みにしていて、座り込みの現場に恐怖心を抱いている。
又、辺野古に行くトラックが座り込みで渋滞する時間帯には58号線を通るようにしていると言っていた。

そして、後者の辺野古の青年達は渡具知氏の当選を泣いて喜んでいた。
彼らの中の36歳の漁師は海の話をする時は笑顔を見せるという、そして「地元の海が埋め立てられるのは嫌だ」と言う。

でも「基地は絶対に造られる。容認して条件を付けておかないと大変な事になる」という先輩達の訴えを重く受け止めているという。
昨年9月久部三区の青年会のメンバーは政府と防衛局職員等と伊江島に行き、防衛予算で養殖や浮き桟橋などの基盤整備などを視察してきたようだ。
辺野古の未来を考えての事だろう。

この記事で感じたことは、久部三区の住民達は今まで防衛局や政府、米兵たちと長年交流してきたという事だ。
長い間彼らと交流していれば彼らの考え方、生き方に共感を持つことは、ある意味自然な事だと思う。

もう一度、久部三区の住民たちと座り込みの住民や基地に反対する人達が声を荒げることなく話すことが出来ればと思う。

分断されてしまった人達が、たとえ、意見が違っていても向き合えるようになって欲しいと願う。

また、辺野古東海岸にあり、名護の人口の殆どは西海岸に住む。
この、東と西でも、基地に対する感覚は違う。
東海岸にいれば、海を見ればキャンプ・シュワブが見えるが西海岸は山の向こう側だ。
西海岸人口 57,000 人は東 4,500 人と約一割。
西側の人にとって、普段、用事がない東海岸にどうしたら、想いを寄せてもらえるだろう。


今後、新市長がミジャ川の切り替えや作業場設置等の承認を許可すれば、政府は片足が自由になるだろう。
後は、知事を何とかするだけだ、というところだろう。

しかし、今回の市長選で一時は言葉を失ったものの、何故か敗北感はない。

それは自分が傍観者だからだろうかとも思う。ここで生まれ育ち、働き、反対してきた者ではないからだろうか、とも思う。
多くの県民が今回の結果にうちのめされている。もちろん私もそのうちの一人だ。

しかし、なぜか気分が滅入っていないのは、それは、もしかしたら一つの目標が見つかったからかもしれない。


悪意ある分断作戦によって、離ればなれになってしまった名護の心、沖縄の心にフォーカスしていきたいという想いが生まれた。

先日、同年代の韓国の知人が、彼らが撮った映画の上映ツアーで沖縄を訪れた。
私も上映会の呼びかけ人の一人だったので、仲間を連れて、上映場所の一つであった、名護市二見のワカゲノイタリ村に行った。
映画の後に、1時間以上みんなで話し合った。

名護の若者達は、やはり、辺野古のゲート前には足が向かないという。
その理由は、やはり、現場の雰囲気のようだ。
警察やトラックの運転手、防衛局員やアルソックの人達に対する罵声。
相手を批判する事で生まれる、ネガティブな雰囲気、自分たちの正義を一方的に伝えるだけでは、相手は心を閉じるだけだ。抗議の言葉ももちろん必要だけれども、あまりにも抗議一辺倒に陥ってしまっているように思う。

歌や三線に踊りと多種多様な人達の話や報告があれば、また場はいきいきとしてくるのではないだろうか。

こんな話しも聞いた。
東京から辺野古埋め立ての工事の為に来ている現場監督がワケゲノイタリ村に来たという。仲良くなり、基地問題の事情を知ると、彼は「沖縄の人を苦しめるような工事なら、自分は止める」と言って、仕事を辞めるようだ。
小さな一歩だけど、人の心を動かすには、ただ自分達の正しさを訴えるだけではなく、相手との信頼関係を結ぶ事が、結局は良い結果を双方にもたらしてくれる。

韓国の青年監督の話もうなずけた。
韓国国内では若者達が社会問題に対してとても感心があり、現状に大きな不満を抱いており、大人世代に対する
怒りを持っていると聞いた。それを皮肉って“Hell(ヘル)・朝鮮と言っているらしい。

それを聞いた、日本の若者(大学中退し沖縄に移住)が“保育園落ちた日本死ね“みたいだと言う、でも日本では若者の大きなうねりは生まれなかったし、それが大人世代に対しての怒りだという事に行かなかったと語った。


又、韓国の青年が若者は今、経済格差に苦しみ、基地問題に向かう余裕がないと語った。
若者にとっては“貧困”が大きな問題になっているので、大人世代は先ず、彼らの悩みを聞き、彼らの問題にも向き合う必要があると語った。そうでなければ、若者は基地問題などには心を向ける余裕がないと。

また、大人世代に“待つ”ことも必要と話す。
やはり、一方的にこちらの想いを伝えてみても、若者は引いてしまうだろう。

辺野古ゲート前は新市長の誕生によって今まで以上に、基地建設を止める上で重要な場所となる。


多くの人が集まれる場になるにはどうすれば良いか?

それはおのずと、今私達が理解している非暴力という意味を掘り下げ、進化させる必要があるのではないか。
ガンジー翁やキング牧師のように宗教が持つ精神的な深さを持つ事は、非暴力を進化させる。

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私自身、辺野古ゲート前に通う理由は、
アフガニスタンにいる私の友人達の命の危険をなくしたい
・日本人として歴史的に沖縄を“捨て石“にしてきた責任
・母なる自然を守りたいという想い
辺野古に行くと、多種多様な人がいて面白い

私にとって辺野古新基地は、あきらめる、あきらめない、の問題ではない。
結果を求めて、辺野古に通っているわけではない。

ただ、大切なものを守りたいから行くだけだ。
その“大切なもの”にはもちろん、米兵も警察官も防衛局もアルソックも軍警もそして座り込みの仲間達も含まれ
る。
非暴力とはそういうものだと、私は思う。