500人程は集まっただろうか。
今年も辺野古の座り込みが始まった。
正月の6日ということもあってか、県内の学生達や子供達、それに普段来ないような若者達が集まった。
3年と約6ヶ月が経った。自分もそうだけど、よくここまで多くの人達が集まるものだと感心してしまう。
人間は努力してもなかなか結果が得られなければ、諦めてしまう。それは、ごく普通のことだ。
それでも沖縄の人達はあきらめないで、座り込む。
気になることは、ここに若者達がほとんど居ないこと。
基地は無いほうがいいという若者は多い、それでも座り込む若者は居ない。
時々、来る。最初の頃は多く居た。
しかし、今は居なくなってしまった、若い人達。
圧倒的な力に対して、なにをしても無駄なのか。
沖縄の座り込みは、排除する側、される側の溝が深い。
私がアメリカやインドで経験した、対立する相手に対する、おもいやりや祈りというものを持つ事によって、精神的に一歩高みへと行く、非暴力の方法は、やはり強く、そしてあたたかい。
そこにはいつもいわゆる、宗教者という人達がいた。ヒンドゥー教、仏教、キリスト教、イスラム教、先住民の教えと祈り。